コーチングを受けると、ほぼ必ず聞かれる問いがあります。
「あなたは、どうなりたいですか?」
地位、成果、年収、肩書き。
ゴールを明確にすることは、たしかに力になります。
でも、ふと立ち止まって思いました。
——「どうありたいか?」は、あまり聞かれない。
年末年始、久しぶりに好きな漫画「テガミバチ」を読み返していて
その違和感が、はっきり言葉になったのです。

テガミバチが教えてくれたもの
多くの少年漫画は、とてもわかりやすい構造を持っています。
「海賊王になる」「天下一武道会でトップを取る」
——明確な“到達点”があり、そこに向かって挑戦し続ける物語。
だから私も最初は、
『テガミバチ』も同じだと思っていました。
主人公のラグ・シーイングやゴーシュが
最上位配達人〈ヘッド・ビー〉を目指して成長していく物語なのだろう、と。
けれど、物語が深まるにつれて気づかされます。
この作品が描いているのは、「地位」でも「称号」でもない。
最終話で辿り着いたのは、「あり方」
物語の終盤、ゴーシュがラグに向かって言う言葉。
「ラグ・シーイング。君のような・・・テガミバチになりたい」
ここで、胸がいっぱいになりました。
トップになりたい、強くなりたい、評価されたい、ではない。
“どんな人であるか”
“どんな姿勢で世界と向き合うか”
そこに、物語の答えがあった。
ラグは、
誰かの「テガミ(こころ)」を運ぶことの意味を、
恐れながらも、迷いながらも、投げ出さずに引き受け続けた。
結果として、
「役職」ではなく
「在り方」そのものが、誰かの指針になった。
「あり方」は、肩書きよりも長く残る
私たちはつい、
・どうなりたいか
・何者になりたいか
・何を達成したいか
を先に考えてしまいます。
けれど、どれだけ結果を出しても、
「あり方」がしっくりこなければ、心は追いつかない。
逆に、
あり方が定まった人は、
結果が揺れても、折れにくい。
『テガミバチ』は、
「目標を持つな」とは言っていません。
ただ、こう問い返しているように感じるのです。
その目標を追うあなたは、
どんなテガミバチでありたいのか?
今年、静かに持っていたい問い
もし今、
「次は何を目指せばいいかわからない」
「目標はあるのに、満たされない」
そんな感覚があるなら。
一度、ゴール設定を手放して
この問いを置いてみてもいいかもしれません。
私は、どうありたいのか。
それは、誰かに評価される答えじゃなくていい。
でもきっと、
人生の選択を静かに導いてくれる“灯り”になります。
ラグのように。
誰かの心を、まっすぐに運ぶ存在として。


